独立型の精神保健福祉士事務所です。

【精神医療と薬の問題、私たちの人権】について、しがらみなく発信しています。

代表紹介

三橋 淳子(みつはし じゅんこ)

◆ソーシャルワーカー 1998年~

◆精神保健福祉士 2003年取得

◆市民団体神奈川オルタナティブ協議会【オルかな】代表 2014年~

https://www.alternative2014kanagawa.com/

◆一般社団法人日本アンガーマネジメント協会

https://www.angermanagement.co.jp/

アンガーマネジメントファシリテーター 2016年取得

アンガーマネジメント 叱り方トレーナー 2020年取得

◆特定非営利活動法人 キャリアコンサルティング協議会

https://www.career-shiken.org/

国家資格キャリアコンサルタント 2019年取得

 ◆特定非営利活動法人 予防医学・代替医療振興協会

http://www.pamedicine.jp/

 学術委員 2019年~

 予防医学指導士 2021取得

 

◆相談支援専門員 2009年取得 横浜市

◆ストレスチェック実施者研修 2018年終了

 

 

・・・・

 

【経歴】

 ◆精神科病院で10年勤務

医療相談室にて相談業務、退院支援、訪問看護、精神科デイケア、地域連携

 

◆就労支援事業所で1年3か月勤務

就労移行・就労継続支援B型がある多機能事業所にて、主にB型での相談業務、作業のサポート

 

◆精神障害者の生活支援センターで8年9か月勤務

事業所内での相談業務、訪問・同行(横浜市事業の自立生活アシスタント担当)

 

ソーシャルワーカー(福祉の相談員)として医療で10年、地域で10年。

精神障害者と言われる人たちから20年、学ばせていただきました。

 

・・・・

 

 ですが、この20年はずっと、

「自分が関わっている、精神医療と福祉業界について、疑問に思うこと、おかしいと思うことを確認するために学び、現場で実践を重ねて来た」20年であったと言えます。

◆利用者さん(患者さん)と言われる当事者の人たちは、医師や福祉の言う通りに通院、服薬をしているのに、よくなっていない。

むしろ長年の服薬で、出来ることが減り、副作用がつらく、どう見ても悪化している。

入退院を繰り返す人もいる。たくさんの薬を飲んでいる人もとても多い。

◆よくならないことを、「重症だから」「それが障害だから」「薬だけではよくならない。生活面でのリハビリが必要」「無理せず寛解をめざすのがよい」「これでも安定している方だ」「この病気は時間がかかるから」などと、支援側は耳障りのよい言葉で、正当化している。

私の学びが足りないから、このように思うのかもしれないと、長年、たくさんの研修を受け、書籍を読み、現場に立ち、考えて来ましたが、20年かけて出した結論は、「やっぱりおかしい」でした。

 

特に大きなきっかけとなったのは、2011年。

担当していた利用者さんのお宅を訪問したら、亡くなっていました。【突然死】です。

その日の午前中まで、電話でお話をしていたのに。

その人は、受話器を持ったまま、倒れていました。

 

私は、第一発見者となり、震える手で救急隊を呼び、警察も来て、死亡確認と現場検証に立ち合いました。

ご家族と疎遠だったその人は、生活保護の直葬となり、私は役所にお願いして、その場にひとり立ち合わせてもらい、見送りました。

これからのことを一緒に考えて、疎遠になった息子さんにお手紙を書いたり、お墓のことを調べたり、動き始めた矢先でした。

自死ではなく、突然死です。その人は絶対に、死にたくなかったはずです。

本当に、無念だったと思います。

 

お骨は、小さな骨壺に入れられました。遠方の親族が引き取りを拒否したので、そのまま、無縁仏さまになってしまいました。

その人はずっと、「こんなにたくさん薬を飲みたくない。副作用がつらい。最初は神経症だったのになんでこんなに悪くなってしまったのか。主治医を変えたい。でも認めてもらえない」と言っておられました。

私は主治医に連絡をして、薬を減らせないかと何度か伝えましたが、この人は感情の波が激しい人。これでも薬は少ない方です。福祉の人からも、きちんと飲むように言ってください」と言われてしまいました。

何も知らなかったその時の私は、言い返すことができませんでした。

 

死亡時診断は、「急性心不全」でした。心臓の既往歴はなかったのに、です。

 

これは、長年飲んでいた精神薬のせいなんじゃないか。

それまでも、年間何人も、自宅やグループホームで亡くなる利用者さんがいました。

現場で受ける研修では、「薬の効果」「必要性」「飲むように促す」ことばかり教えられ、

副作用など、何かあれば主治医に確認するように言われるだけでした。

 

その主治医が、間違っているとしたら?

そもそもこんなに長期間、大量の薬を出すのって、おかしくないか?

 

病院勤務時代から、実はずっと疑問に思っていたことを、ようやく本腰入れて学ぶことにしました。

独自に調べて行く中で、【精神医療被害連絡会】に出会います。

そこには、精神医療で酷い目にあった人や、ご家族を亡くした人たちが、精神薬での【薬害】を訴えていました。

私は、利用者さんの死をきっかけに、医療や薬のことは医師に任せておけばいい、という福祉業界の暗黙のルールではダメだと気づきました。

 

被害連絡会の仲間たちの経験を聞き、精神薬の害について一緒に学び、よくならないことや副作用がどれだけつらいか、そして病者、障害者とレッテルを貼られ、自分の意見をまともに聞いてもらえないことがどれだけ屈辱的で悲しいのか、多くの仲間に教えてもらいました。

彼らは、恨んでいるであろう支援職である私に怒りをぶつけることは一切なく、「よく来てくれたね」と言って、丁寧に教えてくれました。

 向精神薬の副作用は、脳や心臓、腎臓・肝臓、腸など全身にわたり影響があるため、本来はもっともっと慎重に投与すべきだし、処方する時には、もっともっと副作用や害について、デメリットについても十分に説明したうえで、【本人の同意を得る】ことが必要なのに、それがされていないこともわかりました。人権問題だと思いました。

 

そして彼らの中には、自分で独自に減断薬をされ、生き延びたサバイバーたちがいました。

薬を勝手に減らしたり止めたりしたら、再発して、さらに治りも悪くなる。そう教育されていた私は、とても驚きました。

「良くなるために飲んでいた薬で余計に悪くなる、医原病」の存在もその時知りました。

ですが、医療側は医原病を認めないし、自分だけで薬を減らしたり止めたりすることはとても大変で、

「離脱症状」と言われる、減薬していく中で心身に表出するさまざまな不快で苦しい症状に耐えたり、

断薬しても、これまで飲んでいたクスリの「後遺症」と付き合いながら生活したり。

それだけでもとても大変なのに、何よりも、身近な人や周りから、

「病識が無い」「医療を勝手に中断した人」という、新たなレッテルを貼られて苦しむことも知りました。

 

 

彼らの多くは、90年代後半から始まった、製薬会社主導で国も乗っかって派手に行われた、

「うつはこころの風邪キャンぺーンにより、精神科や心療内科の受診の敷居が下がり、軽い不眠や不安、過労などの症状で受診したことをきっかけに、どんどん薬が増え、悪化し、診断名も増えたり変わったりという経過を辿っていました。

 

また、子どもの頃や思春期に診断をつけられ、長期にわたり服薬していて、常にからだがだるく精神が不安定だったことで、大人になる上での必要な社会経験ができずに、自信をなくしている人たちもいました。

彼らの受診のきっかけは、「不登校」や「学校になじめない」、「勉強がわからない」「親との関係がよくない」など、病気として診断せずに何か方法があったのではないか、と思う経過ばかりでした。

 

「病気や障害が、つくられている。(医療化)」という事実に、衝撃を受けました。

 

◆私は、何も知らずに、いや、薄々これでいいのかな、なんでよくならないのかな、薬、多くないのかな、とか色々と思っていたのに、しっかりと向き合わずにいたことで、間接的に被害を生み出す加害者になっていたのではないか。

絶望感におそわれ、現場を辞めようと思いました。

 

ですが、自分だけ逃げるように離れるのは違うと思い、それからは現場で少しずつ、これらの事実の発信や、医療との交渉を始めます。

残念ながら、同じような思いで私と一緒に学んだり発信する同業者の仲間は、現場では1人も出来ませんでした。
気づいてはいるけどそこまでは踏み込まない。必要な薬もあるし、医療とは連携すればいい。コミュニケーション不足なだけだ。

そんな風に言う人もいました。

これだけ毎年亡くなっているのに、そんな呑気なことを言っている状況ではないのにな、と悲しくなりました。

医療との連携を言う前に、本人の気持ちをしっかりと聴くこと。薬を減らしたい、やめたいという人には、知識や情報を伝え、一緒に学び、本人が自分で決めて取り組むための支援を最優先するべきだと、私は思います。医療の指示ありき、ではないのです。

 

私が利用者さんの薬のことを主治医や医療職に投げかけると、露骨に嫌な顔をされたり、必要な薬ですから、と高圧的に言われたり、挙句の果てには、「医療に立ち入りすぎだ」「主治医の指示に従え」「本人の病状をわかっていない」と、行政や病院、訪問看護からの苦情も来ました。

 

現場での限界を感じ、2014年からは被害連絡会の仲間とともにオルタナティブ協議会神奈川支部(オルかな)を立ちあげ、外側から発信する活動、そして批判や問題提起ではなく、じゃあどうしたらいいのか、を考え、別の選択肢を模索して行く活動を始めました。

そして2018年には、現場を退職し、この事務所を立ち上げました。

 

突然死する利用者さんが毎年出るのは変わらず、退職を決めた2018年にも、長年関わっていた大好きな利用者さんが、亡くなりました。

長年、理不尽な通院、多剤処方、入院、悪質な訪問看護を受けさせられていた病院を、本人の希望でようやく変えて、あらたなスタートを切ったばかりでした。

 

私は2011年から、この活動をしていたのに、この人の処方ではいつ亡くなってもおかしくないとわかっていたのに、

これから減薬をしていくはずだったのに、間に合いませんでした。

 

現場では本当に無力で、もどかしくて、利用者さんたちには申し訳ない気持ちでいっぱいです。

 

退職後も、あの利用者さんが亡くなったよ、という報告が入ります。

なぜ、頑張って通院・服薬し、疑問や不満がありながらも指示に従って来た利用者さんたちが、次々と死ななければならないのでしょうか。

まじめに服薬してきた人ほど、悪化しているように見えます。

 

独立した今、しがらみなく現場で見た真実を発信していくこと、また、福祉事業所で勤務する福祉職の仲間たちへ、講座や研修、コンサルテーション等を通して、あまり語られない精神薬の危険性、利用者さんの人権のこと、具体的にどうしたらよいのかなどを、伝えて行きたいと思います。

 

 

 

どうぞ、よろしくお願いいたします。